上道地区の歴史とコミュニティ形成の経緯


元に
上道地区の歴史は古く、古代「かみつみち」と呼ばれた地名が今日の「上道」の起源とされ、中世以降「じょうとう」と音読みされるようになったといわれる。
さらに縄文時代前期に遡る上道地区の歴史は以下のように概観される。

上道地区の歴史
 <時代>    <現在の遺構・遺跡・伝承等>
●縄文時代前期…沼貝塚
       後期…竹原貝塚、丘陵部に散在する大小古墳群
●古墳時代前期…浦間茶臼山古墳(畿内と密接な関係を窺わせる被葬者)
●五世紀後半・…上道氏の大王権カヘの反乱(伝承による)、小廻山の古代山城跡
●奈良時代・・…草ケ部、谷尻に残る条理制跡、坪割りの呼称
●十世紀初頭・…「和名抄」に那紀郷、日下部郷、居都郷、豆田郷への帰属の記録
●戦国時代・・…戦国大名・宇喜多直家が新庄山城に10年在城
       ・・…亀山城を備前制覇の拠点として14年居城後、岡山城入城
  関ケ原後・・…慶長8年以降の池田氏の支配下で沼・浦間・南古都各村の古新田開発
  延宝七年・・…倉田新田の灌概用水確保と高瀬船通船用運河として倉安川を開削、
          吉井水門から、一日市、西祖、栖原、竹原を経て平井村の旭川まで全長20q
近代山陽道一一香登から吉井川左岸を南下、一日市対岸で吉井川を渡河、一日市、
       西祖、栖原等上道郡北部の各村を経て西進、藤井から旭東平野を横
       断し、百間川を越えて森下町に至り、京橋で旭川を渡り、岡山城下へ
●江戸時代・・…産業:素麺(吉井村、西祖村、一日市村)、鍛冶(吉井村、浅川村),二十日早稲(東平島村)
●明治時代・・…明治4年廃藩置県により、岡山県に帰属。
       ・・…同22年町村制実施により、御休村、角山村、平島村、浮田村誕生
○昭和8年・…広田翁、ブドウ新品種・ネオマスカット発表
○昭和9年・…第一生命創始者・、矢野恒太、新庄山麓に財団法人・三徳塾を創設
○昭和14年・…三徳塾全施設を岡山県に寄付
●昭和28年・…御休村、角山村、平島村が合併し、上道郡上道町となる
●昭和30年・…浮田村を上道町に合併
○昭和43年・…県立青少年農林文化センター三徳園設置
○昭和45年・…広田翁によるヒロハンブルク、農産種苗法による名称登録
●昭和46年・…上道町が岡山市に編入合併、岡山市上道支所開設
○昭和61年・…JR上道駅開業
○平成3年・…上道地区地域振興事業実行委員会が設立され、まちづくり活動が盛んになる


表中●印は、「史跡のまち・上道」(上道地区地域振興事業実行委員会史跡部会編)より
表中○印は、その他資料における記述等より転載