砂川の竹藪(たけやぶ)
我が国に生殖する竹の種類は,数百種に及んでいるが,実際によく利用されるのは数十種で,その7割は真竹(まだけ),2割が孟宗竹(もうそうたけ),残りの1割が破竹(はちく)などであろうといわれる。
竹は古くから我が国に育ち,ただし孟宗竹は外来種(中国)であるが,木と並んで木竹などといわれ,竹製品,鑑賞用,建設資材,防災用資材などとして,又竹の子は素朴な味が日本人の心をとらえ,早春の食材として利用されるなど人間生活に欠かせないものとなっている。しかし,近代にいたり,科学技術の発展に伴いその用途は次第に狭まれてきている。
現在,生殖されている竹の種類は平島地区の流域で見れば真竹(まだけ)と女竹(めだけ)であり,女竹は楢部橋の東側下流の一部で,あとはほとんど真竹である。そして下流に行くほど多く,舟橋あたりの両岸には多数生殖され,反対に上流は少なく,特に左岸はほとんどない。
なぜ堤防に竹が植えられたのか,またその時期はいつ頃であったのかは分からないが「上東郡絵図」によるとこの時代にすでに竹や図が見られる。
戦国時代末期,城下町の外側や,川筋や境界に防災と防御をかねて竹藪が配置されるようになる。それを最初に行ったのは明智光秀であった。
岡山藩では,池田光政が熊沢蕃山の震源を受け治山,治水のため植えられた。河岸に竹林を造成することは,竹の持つ自然の力で地下茎を枝分かれさせ,縦横に網の如く強まらせることが防護上きわめて有効であるからである。このことは砂川についても言えることであろう。ただ,どの竹が良いのかは分からない。
現在は新しい工法で護岸が行われており,次第に竹林が減ってきているがこれも時代の流れだろうか。